この町が嫌いだった。
スターバックスがない、この町が。
電車が1時間に1本しかない、この町が。
街灯がなく、夜になると真っ暗になるこの町が。
なのに、どうしてだろう。
職場のみんなに最後の挨拶をして駅へ向かう途中、涙が止まらない。
もう何十回乗ったかわからない「特急こうのとり」で大阪に向かう。
車窓からは、見慣れた田園風景が広がる。
あぜ道に咲く鮮紅色の彼岸花をぼんやり眺めながら、ここで過ごした時間を思い起こしていた。
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一年半前、私はここに来た。
「女性登用」「スーパー・ジョブローテーション」の大方針を掲げた人事部は、今までガラスの天井で頭を押さえつけていた女性たちを、片っ端からマネジメント職に祭り上げた。
私の場合、今まで商品開発や品質管理のスタッフをしていたのだが、いきなり大型店の副店長に抜擢された。
店舗経験ゼロ、マネジメント経験ゼロ。
それが160店舗中売上高第4位の豊岡店初の女性副店長となり、部下はそれまでの0人から100人になった。
就任前に研修を受けたとはいうものの、店舗実務は全くわからない。
今までの仕事で培ってきた知識も、スキルも、人脈も、何一つ使えない。
豊岡という土地のことも、全くわからない。
知っている人も、一人もいない。
単身赴任も、女性としては初めてのケースだった。
母と娘を大阪に置いて、豊岡のアパートで一人過ごす夜。
クリスマスも、一人。
大晦日も、一人。
元旦も、一人。
2回巡ってきた誕生日も、一人。
大阪行きの特急の最終は、豊岡駅18:28発。
普通列車の最終でも20:43発。
難病を患う母がこの時間以降に倒れたとしても、翌日の始発でしか帰れないと思うと、毎晩不安に苛まれた。
休みの日には、片道4時間かけて大阪の実家に帰っていた。
週休2日とはいえ、往復で8時間取られると、自分のやりたいことはほとんどできなかった。
そういう状態でも、仕事は容赦なく降ってくる。
「できない」という言葉を吐くことは、立場上許されない。
次々と起こる無理難題に、必死で対応するしかなかった。
店舗実務がわからないことに加えて豊岡独特のローカルルールも多く、「知らない」が故の数えきれない失敗もあった。
職場のみんなにも、随分大変な思いもさせてしまった。
そうして、ようやく仕事にも慣れ、仕事の楽しさもわかり始めた頃の、突然の帰還命令。
内示から実異動までの10日間で、後任者と引継ぎし、豊岡から大阪へ引っ越しをし、新部署で前任者と引継ぎをしなければならなかった。
お世話になった人たちに、きちんと挨拶をする時間もなかった。
豊岡最後の出勤日。
パートさんの中には、別れを惜しんで泣いてくれる人もいた。
頼りにならない副店長だったのに、「話を聞いてくれただけで嬉しかった」のだと言う。
事務所で荷物を片付けていると、パートさん同士の会話が聞こえてきた。
「今度来る副店長って、男の人なんだって。」
「え~、女の人の方がいいのにな~。」
一年半の苦労が、すべて報われたように思った。
店に別れを告げるために、屋上の駐車場へ。
ここから見える山の景色が好きだった。
8月の柳祭りでは、円山川の河川敷からの打ち上げ花火も見えた。
私はこの町で、癒されていたのかも知れない。
山や、川や、星空や、素朴でやさしい人たちに。
私にとって見知らぬ町だった豊岡は、いつの間にか大切な場所になっていた。
誰一人知っている人がいなかったこの町で、大切な人は100人になっていた。
私はここで癒され、そして強くなった。
ありがとう、豊岡の町。
そしてありがとう、大好きだった人たち。
ひとつ心残りなのは、ここにいる間に市街地を飛ぶ野生のコウノトリが見られなかったこと。
次にこの町に来るときには、姿を見せてくれるだろうか。
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